行き詰まりも生きづらさも、幻想かもしれません

1.第3の視点を持つ

あなたには、りんごがどんな色に見えますか?

小学生の私が、よく考えていたこと。

私が見ている赤は、他の人にはどんな色に映ってるんだろう?って。

私にとっての赤は、誰かにとっての青かもしれない。

私じゃない誰かは、私が青だと感じている色を赤と表現し、
私が青と感じている色を赤と表現し、見ているのかもしれない。

その人にとっての赤は、どんな色なんだろう? って。

他の色も然り。

「赤」「青」という表現をして伝わっていくけれど。

目で見ている色は本当に同じなんだろうか?

もしも違う色を見ていたとしたら、どんな景色を見てるんだろうって。

小学生の頃は、そんなことをよく考えていました。

人は常に、「フィルタ・色めがね・思い込み・解釈」の中で生きていて、
自分なりのフィルタを通して、物事を認識し、判断しています。

私にとっての赤は、誰かにとっての青かもしれない。

同じように、

あなたにとっての嬉しいは、誰かにとっての悲しいかもしれないし、
誰かにとっての苦しいは、また別の誰かにとっては最高の学びかもしれない。

そんな想いをつなげていくと、「正解」「正しさ」「常識」「良い」「悪い」
そんな断定的な言葉が、いかに無力で無意味であるかと感じます。

解釈の仕方、捉え方ひとつで、可能性は無限に広がるもの。

そして何かのきっかけでこの解釈や捉え方が柔軟さを失うと、
人は行き詰まりを感じたり、生きづらさを感じたり、苦しさを覚えます。

苦しいときほど、敢えて力を抜いて、
「りんごは紫かもしれない」くらいの発想が、ちょうどいいかもしれません。

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